孤高の天才「中田英寿」。「世界のNAKATA」を今もリスペクトする理由。


2006年ドイツW杯を最後にグラウンドから姿を消した「中田英寿」。

突然の発表に日本国内は驚き。

世界にも衝撃を与えた。

29歳という若さでの現役引退には当時皆が「なぜ?」と思ったはず。

でも、中田は決めていた。

自分の心に正直に。

決断をしたのである。

平塚の中田

俺が一番最初に中田を知ったのはアトランタ五輪ブラジル戦

マイアミの奇跡」と言われたブラジル代表に勝利した試合だった。

今はバラエティーで大活躍の「前園真聖」がキャプテンだったあのチーム。

その後の98年フランスW杯のアジア予選。

中田が20歳でA代表デビューを飾った韓国戦をテレビで見ていた。

当時、俺は小学生ながらに中田のプレーに惚れ込み、その後中田がJリーグで所属していた「ベルマーレ平塚」の試合を親父に頼み込んで見に行ったのを覚えている。

目の前で見る中田のプレーにさらに引き込まれ、「中田英寿」という存在がめちゃくちゃカッコよかった。

非エリート

中田は決してエリート街道を歩んできたわけではない。

各世代の日本代表には選ばれてはいたが、その中でも突出していた訳でもない。

特別足が速い訳でもなければ、ネイマールやメッシのように「アッ」と驚くフェイントで相手を抜く選手でもない。

それでもあの時代に、世界最高峰と言われたセリエAの舞台で活躍していた中田。

つい最近までクラブ同士で支払われる移籍金ランキングでも日本人ではトップに居続け、アジア年間最優秀選手賞を2回受賞。

U-17W杯、U-20W杯、オリンピック、コンフェデレーションズ杯、W杯。

これらすべての大会で得点をあげた唯一の日本人が中田である。

世界のNAKATA

Jリーグ、セリエA、プレミアリーグ、日本代表。

それぞれの戦場で結果を残し続けた中田。

怪我にも苦しみ、試行錯誤しながらもがく時期もあったが。

当時のセリエAと言えば、ジダンやデルピエロデシャンやダービッツを擁したユベントスを相手に開幕戦での2ゴールはあまりにもインパクトがあり、今だに語り継がれている。

ローマではトッティバティストゥータなどと肩を並べてプレーし、トッティとの熾烈なポジション争いを演じ、大事な場面で衝撃的なゴールを決めるなど、当時世界最高峰のリーグで結果を残し続けた。

世界選抜」にも何度も選出され、ルイス・フィーゴルイ・コスタエトーロナウジーニョ、ジダンなどと共にプレー。

キャプテンマークを巻いた経験を持つ。

こんな日本人は今日まで中田以外にいるでしょうか?

センス

自分の心に正直に生きている様が俺には刺さった。

ドイツW杯でのブラジル戦が終わり、ピッチを背に横たわっている姿を見ながら「辞めるのかな」って俺は思った。

一人の男が戦い続ける姿を見て、その背中からそんな覚悟をどことなく感じた。

元々頭が良く、イタリア語や英語は堪能で、ロシア語、スペイン語、フランス語でも会話ができる。

自分の「好きな事」にはまっすぐに正直に向き合い、サッカーが大好きだったけど、その大好きだったサッカーが楽しめなくなったから引退。

自分の好きな日本酒を世界に広めようと、ワインのように日本酒もメジャーになれるようにと「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立したり、引退してからも自分の道を作り、そのセンスをフルに活用して活躍している。

そんな中田の生き方から、「自分に正直に生きる」という姿勢を見て、学ぶべきことも多々あり、数多くの影響を受けたリスペクトすべき存在であることは間違いない。

彼はサッカーの天才というより、「自分が好きなことに正直に生きる」天才なのではないだろうか。

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