あの日の【RADWIMPS・野田洋次郎】との出会いに感謝する日々。

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高2の春。

横浜の県立高校に通っていた俺は、いつものようにそいつの家に遊びに行った。

そいつはバンドをやっていて、地元じゃそこそこ有名になっていて。

当時、5人組のバンドで地元横浜などを拠点に定期的にライブ活動をしていた。

そして。

その部屋に現れたのが、彼だった。

そこで流れていた「オアシス」の音に合わせ、口ずさむ彼の歌声に「鳥肌」が立ったのを今も覚えている。

今日はそんな話。

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衝撃

まさに「衝撃」と言う言葉が相応しすぎるほどの衝撃だった。

初めての対面はそいつの部屋だった。

そいつと言うのは、元RADWIMPSのギターである「斉木」と言う男。

今は、渋谷で「坦坦担」という「汁なし担々麺屋さん」を展開しているらしいので、是非とも行って頂きたい。

詳しいことはこちらから是非とも見てみてね。

ついこの間、Buzz Feed Newsで取り上げられてYahoo!ニュースに載っていた斉木もまた、「頑張ってるなー」と刺激になる。

俺、まだ行ってないけど。。笑

その斉木の部屋で彼とは初めて出会った。

曖昧な記憶ではあるが、俺も彼も学校帰りに斉木の家に行き、お互いに制服だったと思う。

某有名私立校に通う彼は、どこか「」が違うように見えた。

そして、何よりも「歌声」の衝撃。

これがRADWIMPSボーカル「野田洋次郎」との初めての出会いである。

ただ、この後も数回俺は野田に会うのだが、彼は俺のことは全く覚えてないと思う。

優勝

当時は、彼が何者なのか。

いまいちよくわかっておらず、そのバンドの事もよく知らず。

その当日か、後日かに斉木から「彼がうちのバンドのボーカル」だと聞いた。

RADWIMPSと言うバンドを初めて知った瞬間だった。

彼らはすでにYHMF(全国ハイスクールミュージックフェスティバル@横浜アリーナ)と言う大会で優勝し、「もしも」というタイトルのCDを発売。

このYHMFというのは、全国の予選を勝ち抜いた若きバンド達が決勝ラウンドである横浜アリーナに集結し、トップを競うという大会。

RADWIMPS、もしも、CD

当時、1万枚限定で「100円」で売り出され、地元の「新星堂」で買ったのを覚えている。

RADWIMPS、もしも、CD

今やメルカリなどでは1万円台から2万円台で取引され、その価値は凄まじく上昇。

前年覇者

そしてその年。

同じくYHMFが横浜アリーナで行われ、RADWIMPSが前年優勝者として最後にステージに上がるというイベント。

そして、その大会に斉木がRADWIMPSとは別の「一発屋」というバンドで出場するという。

その大会限りだから「一発屋」という名前だと、彼は言ってた気がする。。笑

そのYHMFに地元の仲間と遊びに行き、なぜか俺はそこで「野田洋次郎」と一緒にライブを観戦する。

一緒に行った訳ではないのだが、たまたま椅子に座る野田を見つけて近寄った俺。。笑

客席は照明が落とされ、眩く光るステージを見つめる野田。

そしてステージ上に登場したのが斉木率いる「一発屋」。

演奏が始まり、隣にいる野田と共に見つめる。

ギターはかじってはいたが完全に素人な俺は、「一発屋」の演奏が終わってから野田に聞いた。

俺「どうだった?」

野田「優勝でしょ。質が違う。」

その通りだった。

「一発屋」の優勝である。

ステージ

その後、前年優勝者としてRADがステージへ。

さっきまで隣にいた野田が、まるで別世界にいる人間に見えた。

もちろん桑原も、そして斉木も。

かっこよかった。

めちゃくちゃ輝いていた。

同い年の人間に、あそこまでの「衝撃」を受けたのはあの時が初めてだった。

ファーストアルバムから数曲の演奏だったと思う。

  • 青い春
  • 人生出会い
  • 「ずっと大好きだよ」「ほんと?」
  • 愛へ
  • あいラブユー
  • もしも

はっきりとは覚えていないが、順不同でこんなセットリストだったと思う。

アリーナの最前列で俺たちはRADの音に合わせて絶叫していた。

それでも当時のRADWIMPSは地元じゃ有名とは言っても、全国的にはまだ無名。

むしろその時は、横浜アリーナの最前列にしか人がいなかった。

最前列では100人ぐらいが狂ったようにはしゃいでいるが、後方はガラガラで、今の状況からすると信じられない。

何度かRADの横浜アリーナでのライブに足を運ばせてもらっているが、その度にあの日の事を思い出す。

核心と確信

当時、初めて「もしも」のCDを聞き、斉木からはデモのCDで「青い春」や「嫌ん」「心臓」などを聞かせてもらっていて、何の根拠もなく俺は勝手に「絶対にRADは売れる」と思っていた。

毎日のようにRADを聞き、俺自身がすっかり彼らのファンになっていたのだ。

仲間と一緒に聞きながら、まだRADの事を知らない友達にも聞かせて、「絶対に売れる」とみんなで話していた。

それぐらい、当時から「ボーカル・野田洋次郎」のカリスマ性や才能はズバ抜けていたように思う。

帰国子女で英語がペラペラ、バスケをやっていて背がめちゃめちゃ高く、歌がうまい。。

どれをとっても、何もかなわない。。

同い年だけど、年上のような落ち着きと存在感に俺は惹かれていた。

そしてそんな「ボーカル・野田洋次郎」を見つけてきた斉木という男にも、きっと先見の明があるのだと思う。

某高校の文化祭で撮った当時の写真を見ると、俺らはまだ高校生というあどけなさは残ってはいるが、俺は彼のポテンシャルに確信を感じていた。

決して上から言っている訳でもなんでもなく。

本能的に何かを感じていたのは本当に確かである。

時間

高校を卒業する頃、RADはしばらく活動休止となっていた。

俺は就職が決まり、美容師として生きていくのだが。

自分のことに必死で、アシスタントとしてガムシャラに生きる日々。

その時は、日常で音楽を聞く暇もないほど時間に追われ、RADWIMPSの存在もどこか忘れていた。

ある日の事だった。

サロン内で営業終了後に流していた有線から、聞き覚えのある声が流れてきた。

手が止まり、全身に鳥肌が立ち、心が震えた。

25個目の染色体

RADWIMPSのメジャーデビューシングルである。

翌日には渋谷のタワレコへ走り、CDを買った。

勝手にめちゃくちゃ嬉しかった。

メンバーは変わり、斉木も抜け、俺が一方的に知っているのは野田と桑原だけだが。

あいつらも頑張っている。

RADWIMPSという名はそのままに。

あっという間にメジャーデビューをしていた。

地道に必死に、頑張っていたんだと。

胸の奥が熱くなったのを今も覚えている。

現在

俺は今、東京の端っこで美容師として生きている。

彼らは、国民的なバンドとなり。

野田洋次郎」の圧倒的な才能は、今や日本国民が認めるところだ。

手も届かない、物凄く遠い場所へ行き、あらゆる挑戦をしている彼らを見て、全くステージは違うが、俺は底辺から頑張ろうと。

いつも彼らの存在が、心の中にいてくれるのも事実である。

出会ってくれて「ありがとう」と、いつも思っている。

桑原の部屋で深夜まで、一緒にギターを弾いた時間を俺は忘れてない。

横浜アリーナで野田と一緒に「一発屋」を見た日を、俺は忘れてない。

全く比べ物にはならないが、この世界の片隅でひっそりと、これからも彼らを刺激にさせてもらって頑張ります。

ありがとう。

感謝。

life is freedom…

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