世界に誇れるたった一人のサッカーの天才。【小野伸二】の凄さを語る。


1998年・フランスW杯。

当時の日本代表監督であった「岡田武史」氏に選出され、「小野伸二」は18歳ながらW杯を闘う当時の22人(現在は23人)に選出された。

98年のW杯と言えば、日本サッカー界を振り返る上であまりにも有名で衝撃的だったあのシーン。

「外れるのは市川。カズ、三浦カズ。北澤。。3選手です・・・。」

岡田監督が25人のメンバーから現地で3人を外す二段階選考という決断をし、メディアの前で発表した瞬間の映像は、幾度となく流れ未だに語り継がれている。

そして、偉大なるカズの背番号「11」を引き継いだ小野伸二もまた、日本サッカーを語る上で欠かせない存在となっていく。

黄金世代

そもそも「小野伸二」という男はあらゆる世代で別格であった。

その伝説は小学生時代から始まっていて、どの世代でも常に「天才」と呼ばれていた。

小野を始めとして、稲本潤一・本山雅志・小笠原満男・中田浩二・遠藤保仁などの世代が揃う、日本サッカー史上最強の世代である「黄金世代」と言われる彼らの中でも小野は誰からも一目置かれ、誰もが認める「天才」だった。

ナイジェリアで行われたワールドユースではキャプテンとしてチームを引っ張り、準優勝に貢献するなど人望も厚い。

プレースタイル

しなやかな足首から繰り出される柔らかいボールタッチが特徴で、そのワンタッチプレーは世界でも一級品。

足元から繰り出されるパスは鮮やかで芸術的で、オランダのフェイエノールト時代には「ベルベット・パス」などと称され、印象的なプレーと共に数多くのアシストも記録した。

98年のW杯でのデビュー戦となったジャマイカ戦の残り15分で投入された小野のファーストタッチでの股抜きに始まり、ワールドユースでの活躍、オランダ・フェイエノールトでのデビュー戦での絶妙アシストなどなど。

「小野伸二」というワードを頭の中で浮かばせただけで色々なシーンが脳裏を過ぎる。

怪我

それと同時に思い出されるのがシドニーオリンピックのアジア1次予選でのフィリピン戦。

後ろから両足を挟み込むような悪質なスライディングに倒され、そのまま起き上がることができずに負傷交代。

左膝靭帯断裂という大怪我を負った。

この時のスライディングの映像、倒れ込む時の小野の表情。

どれもが衝撃的で、未だに覚えている。

この怪我が小野のサッカー人生を変えた。

後に小野自身が語っているように「あの怪我で僕は全てを失った。足の感覚だけじゃなく、サッカーのイメージ全体が消えてしまった。それからは迷いながらプレーするようになってしまった。」と。

リスペクト

ワールドクラスの選手たちと共にプレーしてきた小野。

フェイエノールト時代のチームメイトには若き日の各国の代表クラスの選手たちがひしめき合う。

そんな彼らも「小野伸二」という男をリスペクトしていた。

後にマンチェスターユナイテッドに移籍し、世界的なFWとなった「ロビン・ファン・ペルシ」が「小野は天才!オランダ代表でも小野より上手い選手はいなかった」と豪語し、他にも「トマソン」「カイト」らが小野を始めて見た時の衝撃は物凄かったと語る。

元オランダ代表の「スナイデル」も過去に対戦した選手の中で一番上手いと思った選手の名に小野をあげる。

ラモス瑠偉氏も「小野は怪我さえなければ化け物になっていた」と語り、あの辛口しか吐かないセルジオ越後さんでさえも「日本に天才がいたとしたら小野伸二だけだ」と。

中村俊輔も同様に、小野のセンスを認めている。

まとめ

あの日のフィリピン戦。

倒れ込むあのシーンが本当に脳裏に浮かぶ。

担架で運ばれていく小野の表情が痛々しい。

それでも復活してきた小野は物凄かった。

フェイエノールトでのデビュー戦でヘリコプターから登場し、その後の活躍は半端じゃなかった。

「日本人でもここまでやれるんだ」という事実を見せてもらった。

何よりも「サッカーを楽しむ」という想いが伝わってくる。

小野本人も「ロナウジーニョ」のプレーに惚れ込んでいたように、多くのファンはもちろんサッカー選手までもが小野プレーに引き込まれていたに違いない。

今なお現役を続ける「小野伸二」という男には、いつまでもサッカーを楽しみ続けていてほしい。

そして、楽しそうにプレーしている姿をいつまでも見せていてほしい。

 

life is freedom…

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