【長寿の秘訣】戦争・敗北・満州国。90歳ばあちゃんの経験値。

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道後温泉 おかん時々親父とばあちゃん
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愛媛に住んでるうちのばあちゃんは今年90歳になった。

そして今も、愛媛で一人暮らしている。

90歳とは簡単に言うが90年生きるのは本当にすごいことで。

まぁ、実際俺は90年生きたことはないからその本当の凄さや大変さはわからんけど。。笑

でも、ばあちゃんは笑いながらよく言っている。

「なんでこんなに生きてしまったんやろか。。」

そう言うわりには90歳になっても自転車を乗り回し、尋常じゃないふくらはぎの筋肉を持つハイパーばあちゃん。

東京にいる俺は頻繁に帰ることはできないが、1年に1回はばあちゃんに会いに行くというのをここ10年続けている。

今日はそんなばあちゃんの話。

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松山

道後温泉が佇む愛媛の松山

松山空港から車で15分、道後や松山市内までは車で20分という最高の立地にばあちゃん家はある。

町中が夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台になっている街なだけあってそこら中に「坊っちゃん」の文字が踊る。

上を見上げれば山の上から街を見守る「松山城」がドンと城下町を見つめ、路上を歩けば今も当時と変わらず「路面電車=坊ちゃん列車」が交通の脚となり、古き良き時代の情緒を醸し出している。

気候も温暖で、なんと言っても「みかん」の生産・出荷量は国内トップクラス。

レモンなどの生産も盛んでこちらも広島とともに国内出荷率のほとんどを占める。

瀬戸内海に面し、松山から車で1時間半ぐらいの「今治」に行けば、その瀬戸内海をいくつもの橋で渡る「しまなみ海道」を通り、「広島・尾道」まで行けてしまうという住みやすく、過ごしやすい場所。

満州国

うちのばあちゃんは、そんな松山に住むこと60年余

この街で結婚し、子供を3人育て上げ、毎日を無我夢中で生きてきたそうだ。

そしてばあちゃん。

幼少期は「満州」に住んでいた経験を持つ。

誕生からわずか13年で滅亡した「満州国」

満州事変から満州国が誕生し、第二次世界大戦ソ連の侵略、そして滅亡

調べれば調べるほどに膨大な歴史が積み重なっていることに驚かされるが、ばあちゃんは当時満州で起こっていた出来事を、その場で肌で感じていた人だ。

流れ弾

ばあちゃんは8人兄弟

そしてうちのばあちゃんが一番上で長女。

故に、早い段階から下の弟や妹の面倒を見ることも多く、同時に自分の父ちゃんや母ちゃんの苦労する姿もまざまざと見てきたと言う。

できたばかりの国であらゆるルールが二転三転する中、「中国・ソ連・モンゴル・日本」のそれぞれの自我に振り回されるように「満州国」での生活は目まぐるしく変わっていった。

「関東軍」「ソ連兵」の争いが絶えず、そこから放たれた拳銃の弾はどこにも当たらず流れ弾となり、家にいたばあちゃんの妹の頭に突き刺さり、その場で即死した。

何発も何発も銃弾は打たれ、ばあちゃんの脇腹にも命中

幸いにも命に別条はなく、怪我で済んだそうだが今もばあちゃんの脇腹にはクッキリとその時の銃弾が突き刺さった跡が残っている。

自分へのダメージもそうだが、目の前でさっきまで一緒に笑顔で話していた妹が打たれて即死。

そんな愛する妹の後始末をばあちゃんがするという当時の生々しい話を、ばあちゃんは毎度毎度明るく俺に話してくれる。

今はなき「満州国」で6歳の頃から暮らし始め、わずか13年で滅亡する「満州国」とともに「引き揚げ者」として「内地=日本本土」へ帰ってきたばあちゃんは、親戚の関係で愛媛の松山にやってきたそう。

運命

そして10歳上の最愛の旦那さん(じいちゃん)と結婚し、うちのおかんを含む子供3人を育て上げ、じいちゃんが19年前に死んでからは一人で愛媛の家を守っている。

ばあちゃんの話を聞いていて、いつも思うことがある。

「この人は強いな。そして全てにおいて潔い。」

それはどういうことか。

ばあちゃんの娘である俺のおかんは一番下で末っ子だった。

前にも書いたが、うちのおかんも13年前に病気で亡くなった。

さらにその上にも2人の兄がいたのだが、この二人もすでに他界している。

残されたのはばあちゃんオンリー。

辛かったはずだ。

そして今も辛いはずだ。

自分の娘・息子が自分よりも先に逝くという現実。

でも、それをも受け入れ「あの子らの分まで、ばあちゃんが生きるんじゃ。」といつも言う。

強さ

孫たちは関西・関東に数人いて、8人いた兄弟も満州で2人が亡くなり、その後も3人が他界。

ばあちゃん含めて3人が香川と群馬にいると言う。

でも、もう今は連絡はたま〜に取っても、会うことはほとんどないと。

「遠いし、よう行かんわ〜!」

と、言っているがばあちゃんのエネルギーの強さはハンパじゃない。

まず、本当は毎日デイケアに行きたいが、元気すぎて許可が下りずに週1でしか行けない。。笑

老人ホームなんかにも入る必要がないぐらい家のことは全部自分でやるし、何気に急な家の中の階段を何度も登り降りして洗濯物を二階のベランダで干していたり。

ボケないようにテレビで流れる言葉のワードはメモに書いて覚えているお陰か、最近の流行りモノにも詳しい。。笑

そして何と言っても極め付けがふくらはぎの太さ。

第二の心臓と言われるふくらはぎが異様に太いと前から思っていて、90歳でチャリンコに乗るエネルギーはここからきているんじゃないかと思うぐらいに凄い。

でも、やっぱり一番に感じるのは。

「我の強さと、ふくらはぎに負けないぐらいの心の図太さ」

これである。

まとめ

ばあちゃんと一緒にいると常に思う。

「自分の信念を曲げない強さと、ちょうどいい遠慮と同調。」

この絶妙なバランスが実にリスペクト。

我が強いと言うと少し聞こえが悪いかもしれないが、うちのばあちゃんは確かに我が強いんだけど、物凄く人に興味があって、人の話を最後までよく聞く。

そして聞くだけじゃなく、その人の内面までよく見ていて、観察して自分の学びに変えている。

これは本当に凄いと思う。

孫である俺、そして嫁やうちの子供に対してもそうだ。

常に興味を持ち、話を聞く。

ばあちゃんと近所のスーパーなどに買い物に行っても、必ずどこかしらでばあちゃんの友達に会って必ず「孫紹介」が始まる。。笑

ここだけの話、、、若干面倒臭いんだけど。。笑

それだけ顔も広く、どこに行ってもその人に興味を持ち、気がついたら仲良くなっているという人を惹きつける魅力があるのだと思う。

人生のあらゆる経験値が積み重なって今のばあちゃんがいて、その経験値がばあちゃんの強さになっている。

毎年行けば行くほどに、学ぶことは多々あってリスペクトすべき人物。

それが「俺のばあちゃん」なのである。

俺のばあちゃん

life is freedom…

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