タイトルはディープだけど、内容はライトだから安心してね。
はじめに言ってしまうと、うちのおかんは「白血病」だった。
著名人の方々がこの病気を公表したりで話題になったりもしてるけど。
今は白血病は治らない病気じゃないと言われている。
でも、うちのおかんはダメだった。
っていきなりディープだけど、ここからはライトに書くから安心してね。笑
親の離婚
そもそも。
俺の記憶に「おかん」の存在は20%ぐらいしかない。
それもそのはず。
両親は離婚して、5歳の時にグッバイしている。
5歳の俺には「離婚」って意味すらわからず、突如おかんが実家の愛媛に帰った。
そんなニュアンスで思っていたのも事実。
でもクソガキながらどこかに「別れ」を感じ、寂しくて涙が止まらなかった。
そんな時だった。
マリカー
親父に引き取られた俺は、空港でグッバイしたおかんの背中を見送りながら大号泣。
口からも目からも鼻からも、涙とよだれと鼻水という水分を垂れに垂れ流す。
だがしかし。
そんな時に、奇跡の出会いが訪れる。
「スーファミ」と「マリカー」。
「スーパーファミコン」と「マリオカート」だ。
おかんとグッバイした初日こそ泣きわめいていた俺だったが、スーファミを買い与えられた俺はコロッと満面の笑み。
3時間後にはマリカーでキノピオを暴走させて走り回り、キノコカップでは6個上の従兄弟を倒すぐらいに早かった。(ただ単に従兄弟が遅かっただけって噂もあるけどそこは目を瞑る。。笑)
5歳の俺には完全にテクニカルヒット。
「スーファミ」と「マリカー」が俺を救い出した。
任天堂リスペクト。
親父の髪
そこからは親父との男二人の二人三脚が始まる。
休みとなれば色々な場所に遊びに行き、キャンプをしたり、キャッチボールをしたり。
お互いに時間を積み重ねながら、仲がいいときもあれば、全く喋らないこともあったり、怒鳴り合いの喧嘩をしたり。
今思えば、なんであんなに尖っていたのか謎で、悪い事したなという思いもあるけど。
今現在、俺は2ヶ月に一回、店で親父の髪を切ってる。
それでオッケーでしょ。と、俺は思ってる。
おかんの死
おかんの死を知ったのは20歳の時。
グッバイしてから今まで一度も会わずのおかん。
20歳になったタイミングで愛媛のおかんに会いに行こうと思った。
親父に会いに行くことを伝えた時、その事実を知った。
俺が親父に伝えたほんの数日前だった。
愛媛のばあちゃんから親父には連絡が入っていて、白血病で亡くなったと。
それを聞いた俺は、何も言葉が出ず。
でも直感的に思った。
「愛媛に行く。お墓に行く。ばあちゃんに会う。」
このワードが頭に浮かんだ。
ばあちゃん
2ヶ月後。
俺は愛媛の松山にいた。
ばあちゃん家(母ちゃんの実家)の住所は親父から聞いてたから、松山駅でタクシーの運ちゃんに住所を伝え、家の近くで下車。
なんせ訪れるのは15年ぶり。
ばあちゃんと会うのも15年ぶり。
果たしてばあちゃんは俺のことを覚えてるのだろうか。
そんな不安も頭をよぎる。
なんとなく見慣れた風景が現れ、確かここだったなーって家の前で立ち止まる。
ピンポンを押す勇気が出ず、ドキドキしたまま一度その場を立ち去って。
近くの公園に腰を下ろし、一息ついてまたアタック。
思い切ってピンポン!!
「ピンポーーーーン」
誰もいない。
その直後だった。
一台の車が家の前に止まり、その中から腰を丸くした女性の老人が降りてきた。
ばあちゃんだ。
俺の記憶は一瞬で蘇った。
昔、よく遊びにきてた松山。
おかんの実家、ばあちゃんの顔のほくろを押して遊んでいた記憶。
それらが一瞬で戻ってきた。
再会
その女性の老人は一度こっちをチラッと見て、そのまま家に入ろうとした。
ばあちゃんからすれば、まさか15年前に離れた孫が、突然家にやってくるなんて考えてもないだろうし。
そう。
俺は事前に連絡もせず、いきなり突撃したのです。
そして俺は勇気を出して声をかけた。
「ばあちゃん」
振り返ったばあちゃんは何のことかわからず。
もう一度「ばあちゃん、俺や」。
そう言うと、一瞬でわかってくれた。
ばあちゃんは泣き崩れ、号泣しながら家の中へと入れてくれた。
離れ離れになっていた15年前から、色々な糸がもう一度結ばれたような。
そんな感覚が凄かった。
お墓
事の経緯を全部説明して、おかんの最後の姿や姿勢も教えてくれた。
ひと段落して、「おかんのお墓」に行こうと立ち上がり。
近所に、こちらも俺が小さい時にお世話になった「田中のおっちゃん」という人がいて、その人がおかんのお墓まで車で乗っけてくれた。
お墓の前に行った時。
自分でも初めての感覚に包まれた。
立てない。
周りがぐるぐる目まぐるしく回っている感じで。
5歳のあの時と同じように。
目からは涙が溢れだす。
とどまる事なく流れだす。
体感した事のない何かのゾーンに入ったような、不思議な感覚に飲み込まれ。
しばらくそこから動けなかった。
「おかん、ありがとう」
それだけ伝えて、ばあちゃん家に帰った。
ばあちゃん家のおかんの部屋はそのまま残っていて、机の上に飾ってあった一枚の俺の写真、そして俺が作ったミニ四駆。
「大丈夫。おかんの想いは受け取った。ありがとう。」
最後に
その年からは10年が経ち。
毎年の夏、俺は家族で愛媛に帰っている。
ばあちゃんを連れ、俺の子供で、ばあちゃんからするとひ孫と共に、毎年四国周辺を旅する。
今年89歳になるばあちゃんは今も元気だ。
89歳で携帯を操り、自転車に乗って移動する。
そのふくらはぎの太さに驚くのと、好奇心による理解力の高さ。
50以上も年上なばあちゃんの姿勢には任天堂以上のリスペクト。
そんな遺伝子を俺も死ぬまでフル活用したいと思う。
おかんの死が、この縁をもう一回くっつけてくれたと思ってる。
天国のおかんも、きっと笑ってくれてるんじゃなかろうかと。
そうであれば、こんなに嬉しいことはない。
「おかん、親父、ばあちゃん。ありがとう。」
life is freedom…
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