高校卒業してからすぐに美容師になった俺は、そのまま地元の横浜を離れて一人暮らしの生活に突入。
美容師初期の頃ってのは本当に金がなくて。
風呂入るにもガス止まってたり、腹が減っても金が無いし。
挙げ句の果てにはさ、熱が出たら病院行く金も無いから、冷凍庫に入ってた冷凍食品の「スパ王」を氷枕にして頭冷やして熱を下げたりしてね。
朝起きて熱が下がって、自分の熱で出来上がったスパ王は美味かったよ。笑
今思えば我ながらよく考えたなと思うけど。。
そんな感じでなんとか毎日暮らしてたんだけど、今日はそんなお話を少し。
極貧生活
当時俺が働いてたサロンのアシスタントの給料で手取り14万位だったんだよね。
そこから毎月の支払いに追われる訳。
家賃が5万円、水道光熱費で1万円、ケータイで7、8千円、通信の学費で3万円。
あと俺は家の契約をする時に敷金と礼金等を含めた金額20万円を会社から借りてたからその返済が月1万5千円。
もうこの時点で、11万3千円。
残りは約2万7千円。
そこから食費、道具代、講習会等の交通費とかをやり繰りしてたのね。
これが結構きついのよ。。
給料日1週間前には全財産を使い果たしてる感じ。
火の車
何年かして少しづつ給料も上がっていったけど、それでも切羽詰まってたね。
23歳で結婚したんだけど、その時の給料で25万位。
スタイリストになって3〜4年が経った時、ある程度なんでもできるようになってきて。
全くアウェイの感覚で自分を試したくなった時に、その会社を辞めてサロンを移ったんだ。
それが25、6歳。
その時なんてもっと酷くて。
完全歩合制で入店したての俺にはお客さんも付いてないし、そのサロン自体も業績があまり良くなくて。
サロンに行ったって何もしない日もあったりね。
マジで地獄の日々が始まった。
一番酷い時は給料が18、19万とかそのぐらいだったんじゃないかな?
嫁も子供もいたからね。力不足もいいとこだよ、本当に。
情けないよねー。
悪あがき
でもさ、「金が無い無い」言ってたって明日は来るし。
ジッとしてても何も変わらない。
誰かが助けてくれる訳でもない。
だからってすぐにお客さんが来てくれる訳でもない。
子供も産まれたばっかりで食べさせていかなきゃいけないし。
その時はとにかく必死だったよ。
なんとか稼げる方法は無いか、どうにかお金に変えられないか。
毎日毎日考えてた。
美容師の仕事が終わった夜21時から居酒屋のバイトをしようと思って面接に行ったり、同じような境遇の同級生の仲間で集まって、それぞれの得意分野を活かして講習会を開いたり、都内の美容室でトップ張るような人に弟子入りを頼みに行ったり、
ありとあらゆる持ち物、マジで大切にしてた物とか、高く売れそうな物はヤフオクとかでとにかく売りまくって金にしたり。
金ができたらまた買えばいい!って心に刻んで。
恥というものは全部捨てて、欲というものも全て封印。
本当に毎日必死だった。
光
その時に思い知ったんだ。
結局その時にいたお店も売り上げが悪く、客足も遠のく。
そこにいるスタッフの給料もヤバい状態だったし、なんとかしないとって事で。
値段を少し下げてみたりとか、みんなで協力して少しづつ売り上げも上がってきた。
それもあってなんとか居酒屋でバイトはせずに済んだんだ。
なんだかんだで3〜4ヶ月ぐらい続いたかな、そんな状況が。
決断
でもね、どれも自分で決めた事。
もし、あの時。
俺は前の会社にそのまま残ってればこんな思いはせずに済んだと思う。
でも、今になって思えば。
あの時の経験が本当に力になってる。
人間一度は必死になってみるもんだよ。
一人ならまだしも、嫁も子供もいて。
守らなきゃいけないものがある時。
あれは絶対誰でも必死になるよ。
恥は捨てた。大事なものも、プライドもあの時に全部捨てた。
でも、目指すべき場所は捨てなかった。
「美容師を辞める」
この選択肢は俺にはなかったんだ。
何故だかわからないけど、負けたくなかった。
必ずなんとかする。
人生、全ては経験値。
そう言いながら、毎日のように自分に言い聞かせてた。
そんな経験も今となっては大事に思える。
ありがたい日々だった。
life is freedom…
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